子どもが骨肉腫になったので、アラフォー母の闘病全力応援日記

10代の息子が骨肉腫を発症。とても珍しい希少ガンと呼ばれています。闘病の様子を調べてみても、なにせ患者が少ないので情報も少ない。ならば、自分で記録してみよう!と思い立った専門知識0の母が子どもを応援する日々の出来事。

病院3つ

2019年12月半ば、冬の体育の定番である長距離走をやった夜、右膝の辺りに痛みがあると息子が言い出しました。

文化系の部活をやってるので、運動不足ぎみの息子は、筋肉痛かな~と言っていて、私も同様に思いました。

その後は徐々に痛みが治まり、体育の後痛みが強まるといった様子。しかし痛み止めを服用するほどの痛みは出ませんでした。


この後、年が明けて冬休みが終わっても痛みが無くならず、薬を飲むほどではないとはいえ、痛みも強くなって歩きにくくなってきたことから、近所の整形外科を受診することにしました。


近所のクリニックに行くのを決めたとはいえ、この時は関節炎?じーさんみたいやな、という軽い気持ちでした。

12月の半ばに痛みが出てから、重病の可能性は全然思ってもなくて、12月21日の新国立競技場オープニングセレモニーに大阪から家族旅行に行ったくらいです。
ドリカムと嵐のライブ見たさに行って、サプライズのゆずのライブもあって、ごく普通に旅を楽しみました。


そんな新国立競技場オープニングセレモニーを見てから三週間後、整形外科で驚きの結果を告げられました。

「骨に腫瘍があるかもしれません」

腫瘍を専門に診てる整形外科の先生へ紹介され、3日後その先生の外来の日に2つめとなる総合病院を受診しました。


幸いにもというか、その紹介された総合病院が徒歩圏内だったので、これまた気楽に向かいました。
腫瘍があると言われ驚きはしたものの、良性だよなという妙な思い込みで深刻になるでもなく。
なんなら、近所の整形外科行った夜はママ友達と新年会と称し飲み会してたくらいで。


総合病院で診てくれたのは、そこの整形外科の部長先生でした。
先生は、腫瘍の可能性はかなり高い。まずはMRIを撮ってそれを診て診断しましょうとのこと。病院内のMRIはその日は予約の関係で撮影出来ず、後日撮影と診断を聞きに二度目の受診に行きました。


結果は腫瘍があるのは間違いない、病理検査をしないと良性悪性の決定は出来ない。悪性の場合は、うちでは治療出来ないので悪性結果が出た場合に備え、治療が出来る病院で検査に伴うオペをした方がいいとの説明。

部長先生は、うちから1時間以内で通える病院を3件挙げてくれました。
そのなかで、一番遠いけど部長先生のイチオシだった某巨大大学病院へ行くことにし、予約をとってもらいました。


日本に住んでたら、特に西日本に住んでたら1度は名前を聞いたことがあるであろう病院で、予約といっても、数日後やんなーとぼんやり思っていたら、

「明日の13時に予約とれました」
と、部長先生がさらっと言い放ちました。

え?マジで?そんなすぐあの病院って予約取れるの?めっちゃ混んでると聞いたことあるけど。てか、そうかそんな急いで行かないとアカンやつか…その時、ずっと気楽に構えていた私が最初に打ちのめされた瞬間でした。

しかし、打ちのめされてる場合ではない。一番ショックなのは息子のはず。
息子の様子を伺うと、わりとシレッとしていて、変化はよくわかりません。
元々そんなに感情の起伏があるタイプではないんですよね。
大丈夫?と聞いたら、
まぁ、うん。
と、一言の返事のみ。明らかに落ち込んでるでも、取り繕くろってるでもないような…

向こうの病院でよく診てもらってきて!と部長先生に送り出され、翌日電車を乗り継ぎ巨大病院へ向かいました。


最寄り駅からすぐ、駅の目の前が病院です。
めっちゃデカイ。まさに白い巨塔。いや、厳密には白くはない。うっすらグレーなんだけど。とりあえず、威圧感と敷居の高さスゲーなおいと、恐れ入りながら受付へと迎い、運命の診断をされるのでした。

自己紹介

2020年1月に、息子が骨肉腫と診断されました。

とても驚いてとてもショックでしたが、
前向きに治療するしかないよね、という気持ちで今はおります。

そんな我が家のまずは自己紹介


このブログを書いているのは、骨肉腫になった息子の母でございます。
アラフォーのパート主婦
ジャニーズと宝塚が好きなヲタ気質ながらも、ごくごくよくいる、絵に書いたような平凡な主婦です。


高校生の息子
彼がこの度、希少ガンのひとつである骨肉腫を発症しました。
2020年2月半ばの現在、化学療法1クール目に挑んでいます。
息子本人には言うと負担になるので、ここで言っておこう、頑張れ息子よ!


平凡主婦の夫
こちらの方の妻同様、絵に書いたような平凡な会社員。
わりと感情の起伏が激しい妻とは正反対の、何事にもほぼほぼ動じない人。
妻としては、その性格羨ましいと思いつつ、なに考えてんのかよくわからんと感じることも笑。


3人家族で平穏に暮らしていましたが、なかなか厄介な病の影が見え始めたのは、2019年12月半ばのことでした。